松前城 |
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【松前城攻略】 明治元年10月25日。五稜郭に入城した徳川遺臣軍は、捕虜として捕らえた松前藩士に「箱館来訪の趣旨と蝦夷地統治に関する平和共存への協力依頼」を問うた書簡を持たせて松前に返した。しかし、藩主松前徳広は、この藩士を節義に反するとして死罪に処し、五稜郭へは返事すらしない黙殺の態度を取った。それに対し、榎本武揚は怒りを露にし、軍議により松前攻略が決定した。 この松前城攻防を含め徳川遺臣軍と戦った松前兵は、必ず敗走の際に民家や村に火を放って逃げたので、後世の批判を受けている。榎本の学んだ国際法知識を適用した徳川遺臣軍は、戦争に直接関係しない市民を巻き添えにしないよう配慮し、俘虜として監禁した松前兵にも津軽行きの便宜を図ったり、町民・農民として生きる選択肢を与えるなど、それまでの封建日本にない新しい考えを示した。 |
落城後の松前藩主松前徳広の行く末は悲惨であった。土方軍が松前城に迫る前にひそかに城を脱し、家族と共に館の新城に移る予定であったが、別働隊が五稜郭から館城に向かっているとの報を聞き、江差北方の熊石に逃げた。 そこから津軽藩をたよって渡船したが、あいにくの荒天で姫を失い、津軽に渡った後には持病の労咳が悪化したため、わずか25才の若さで死亡している。 |
【松前城資料館】 松前町字松城 TEL : 01394-2-2216 入館料 大人210円 小人100円 開館 午前9時〜午後5時(4月〜9月) |
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