多摩の人と歴史


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土方歳三資料館所蔵資料
その6

函館新選組袖章と新選組組織



土方歳三資料館に残る袖章は、函館新選組が識別のために軍服の袖につけたとされるもの。明治元年10月に函館を占領した榎本武揚率いる旧幕府軍は、新選組の他、伝習隊、遊撃隊、額兵隊、衝鋒隊、彰義隊などの各小隊が寄せ集まった混成部隊であった。それぞれ函館に至るまでの経緯によって、所属が分けられていた。戦闘時には、識別章を付けなければ、敵か味方かの判断もしづらかったのだと想像できる。新選組には、京都以来の隊士に、旧桑名藩士、旧唐津藩士、幕臣の一部を加え、総勢80数名であったといわれている。

同袖章は、日野市の新選組研究家谷春雄氏から寄贈され、現在は額に入れられて資料室の壁に掲げられている。同じ物が、函館市の博物館、京都・霊山博物館にも展示されている。現存する同袖章は23個。いずれも歳三のものであったかどうかの確証はない。


新選組組織の変遷

文久3年の8月18日の政変出動時に、壬生浪士隊は所属する会津藩から「新選組」の呼称を拝命した。以後、明治2年5月の函館の蝦夷共和国瓦解に至るまでの6年間、新選組は何度か組織体制を変えながら存続した。以下、その組織形態の変遷を時代の流れに沿って整理してみる。

呼称 発足 隊長・局長 隊士数 備考
壬生浪士隊 1863.03 芹沢鴨、近藤勇、新見錦 24名  
(京都)新選組 1863.08 芹沢鴨、近藤勇、新見錦 50名 8月18日の政変出動
  1863.09 近藤勇 50名 芹沢鴨一派を粛正
  1864.10 近藤勇 70名 伊東甲子太郎一派入隊
  1865.05 近藤勇 140名 西本願寺に屯所移転
  1867.03 近藤勇 200名 伊東ら御陵衛士15名脱退
  1867.06 近藤勇 105名 幕臣取り立て
  1867.12 近藤勇 160名 伏見奉行所に屯所移転
  1868.01 近藤勇 120名 鳥羽伏見の戦い〜江戸帰還
甲陽鎮撫隊 1868.03 大久保大和(近藤勇) 120名 甲州柏尾峠の戦い敗退
(流山)新選組 1868.04 大久保大和(近藤勇) 220名 近藤勇捕縛、隊士一時離散
(会津)新選組 1868.04 山口二郎(斉藤一) 130名 土方歳三は負傷治療
  1868.09 山口二郎(斉藤一) 46名 会津新選組瓦解
(函館)新選組 1868.10 安富才助 65名 桑名、唐津藩士合流
  1869.05 相馬主計 103名 土方戦死後、弁天台場にて降伏
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三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com