多摩の人と歴史


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小島資料館館内
その2

小島邸全景図
明治18年頃の銅版画。小島資料館「上段の間」の廊下に掛けられている。近藤勇らによる天然理心流の出稽古風景を見下ろすようにそびえていた母屋の前の大松は、昭和55年に枯れてしまったという。

資料保存館2階

[展示物]
近藤勇、土方歳三書簡
沖田総司、山南敬助年賀状
小野路農兵隊指揮刀、隊旗
天然理心流入門血判書
土方歳三作漢詩掛軸
新選組の墨印など

沖田総司年賀状

沖田総司が京都から小島鹿之助に宛てた年賀状。「正月三日」と記されているのみだが、慶応2年のものと推定されている。読み下すと、「新春のご吉慶際限御座あるべからざる候。いよいよご勇剛にご越年めでたき御義に存じ奉りついては私義無異加年つかまつり候。右、年頭ご祝詞を申し上げたく愚礼を呈し候。なお、永陽の時を期し候。恐惶謹言。沖田総司房良。正月三日。小島鹿之助様。参人々御中。」とある。

新選組墨印

文久4年5月20日付けの近藤勇から小島鹿之助に宛てた封書の裏に押されている。右上から「新選組」と読める。なお、封書は、金子入りとなっており、近藤が鹿之助に以前借りた金を返済したものと考えられている。

土方歳三作漢詩掛軸

「橋本君一子生むを賀す」として、慶応元年8月に親戚に当たる小野路村橋本道助の長男の出生を祝って土方歳三が自筆した掛け軸。七言絶句の意味は、次の通り。「才有り徳高く天下に名を上げることは大変お目出度いことです。男子の度量は、万仭山の頂をゆったりと飛翔している一羽の鶴のようであってほしい。」


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三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com