多摩の人と歴史


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土方歳三資料館館内

土方歳三胸像

土方歳三資料館は、土方歳三の生家(正確には育った家)の一角に設置された土方家の個人資料館である。私財を投じ歴史伝承のため資料を公開する事は、大変な責任感と情熱がなければできないことである。現館長の土方陽子氏に深く感謝したい。尚、陽子氏は、歳三の兄の玄孫にあたる佑氏(たすく。故人)の夫人で、現土方家当主である。

資料館は、門を入った右手、母屋の東側に設置されている。展示室前にはひさしが付けられ、その左袂に「歳三の矢竹」が植えられている。ひさしの柱と梁は旧屋敷のもので、歳三が風呂上がりに相撲の張り手の稽古をしたという大黒柱の一部を使っている。また、上がり口左側には、歳三の胸像が建てられている。総髪で洋装の歳三は、函館時代をイメージしていると思われるが、志に満ちた眼光は浪士隊に応募し上洛するため、故郷石田をあとにした時のまなざしではないかと想像する。

展示室に入って右側のショーケースには、まず天然理心流目録、歳三が八月十八日の政変出動の時使用した鉢金と、それを故郷の佐藤彦五郎に送った送り状書簡がある。隊士安富才助が歳三の戦死を知らせる土方隼人宛て書簡、戦死の数日前に函館の写真館で撮影したといわれている歳三の座像写真、隊士中島登が描いた覚書と戦友絵図の歳三の全身像など函館新選組時代の資料が続く。歳三愛用の武具として、鎖帷子一式と日野市の有形文化財に指定されている和泉守兼定銘の真剣が中央に展示されている。俳句は歳三の意外な一面として知られている趣味だが、上洛前にまとめて生家に書き残した発句集が掛け軸に貼り付けられている。また、京都の皇居に初めて参内した時の感激を報告する書簡なども展示されており、新選組の鬼副長として有名な歳三の一方の暖かな人間性を感じ取る事ができる。
展示室中央には、土方家代々を弔う仏壇がある。この中に歳三の「歳進院殿誠義豊大居士」の戒名が刻まれた位牌も静かに安置されている。仏壇の上には、維新後歳三の兄喜六が函館新政府の総裁であった榎本武揚に多摩の地酒を持参の上面会した際、非常に喜びその場でサラサラと書いたと言われる書額がある。「入室但清風」と書かれており、榎本が土方の死を惜しんみその亡き後の空虚な気持ちを表している。

仏壇の左側ショーケースには、土方家秘伝の「石田散薬」の見本、製薬のための薬研、歳三が京都で買い求めた調合のための瀬戸物の丼、歳三が担いで武州相州の剣術道場を渡り歩いた薬箱が展示されている。

西側の壁には、会津母成峠の古戦場慰霊碑、函館市若松町の土方歳三最後の地碑の写真が掲げられており、その隣には23枚残って現存している新選組肩章を見る事ができる。最も大きな掛け軸状のものは、高幡不動境内の土方歳三近藤勇顕彰碑である「殉節両雄之碑」の拓本である。これは、小島資料館に保存されているものと同じものである。

月一回の開館日には、歳三ファンの若い女性を中心に新選組ファンが多数ここを訪れる。徒歩5分で行ける「石田寺」参拝とセットのコースになっているようだ。なお、土方歳三資料館では、現在歳三のオリジナルテレホンカード2種類を有償配布している。また、日野市発行の新選組ガイドブック、新選組ファンが自費出版している新選組史跡ガイドブック「ふぃーるどわーく多摩編」、「同北関東編」、そして、幕末関連書籍を数多く出版している新人物往来社の新選組関連図書を委託販売している。

土方歳三資料館所蔵資料

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三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com