近藤勇五郎の墓は勇の墓の隣(龍源寺) |
天然理心流4代近藤勇の婿養子である近藤勇五郎は、勇の長兄宮川音五郎の次男である。「勇五郎は昭和3年73歳で、近村の師弟を集めて未だに元気で家芸の天然理心流を教えている。」と、ものの本にはあるが、維新時16歳の勇五郎がどうして天然理心流の伝統<道統>を継ぎ得たのか、少なくとも勇五郎の剣の師匠は近藤勇ではない。では誰が彼に天然理心流の「天に象(かたど)り地に知(のっと)り、以って剣理を究める」という伝書を授けたのだろうか。剣師は分かっていない。 一説には、近藤勇五郎は宮川家に近い国領に道場を開いていた原田亀蔵(3代近藤周助の弟子原田忠司盛重の子)あたりに学んだのではないかと言われ、また三助の門人で、戸吹の松崎正作栄積の長男松崎和多五郎則栄がその剣師であるとも推測されている。あるいは、武州多摩の地に剣名を覇せた多くの師範がすべてその師であったのかも知れない。 初代近藤内蔵助は天然理心流を創始し、2代三助はそれを完成し、3代周助は多摩一円に理心流を広く流布させた。4代勇は剣名を幕末の天下に高め、そうして勇五郎はその剣名を永く人の世に伝えることに執念を燃やしたのである。 近藤勇の上石原の生家跡の向かいに「撥雲館」という小さな納屋のような道場がある。ここが近藤勇五郎の道場であった。加藤伊助(修勇)氏(天然理心流8代、三鷹市、物故)は、この道場で10歳の時から戦争に行く21歳まで勇五郎から天然理心流を教授されたと言う。 近藤勇五郎のあと6代目は桜井義則という人が継いだが、昭和7年に北海道にわたり、7代は勇五郎の次男の新吉が継いで警視庁剣道助手をつとめていたが昭和11年夭世した。そして長い空白期間の後に加藤氏が8代目を継ぎ、加藤氏は門人であり、宮川家の末裔である清蔵氏に天然理心流」の伝系道統を譲った。(k) 天然理心流は宗家が口伝によって奥義を時代に継ぐ秘密主義の上に成り立っている。宗家師範が直接指南免許を授けたものだけが、道統を継承することができる。そういう意味では、現在宗家は不在である。但し、現在も理心流剣術を指導している師範がいる。近藤勇五郎の弟子であった内藤忠政から指導を受けた瀧上鐡生師範と、前記宮川清蔵氏が牛久市に転居するに当たり師範役を託した三鷹市在住の平井泰輔師範の2名である。瀧上氏は真剣を使い、平井氏は真剣は使わない。 【参考】 天然理心流 瀧上先生 稽古場所:新宿区スポーツセンター 天然理心流 平井先生 稽古場所:三鷹市武道館 |
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三浦正人 e-mail
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