tamatitl.gif

kzotitle.gif
平成9年3月18日号
[ご注意]
このページは寿徳寺ご住職の許可を得て掲載しています。

その1

 

インターネットホームページ
「多摩の人と歴史」について 

三浦正人(文京区在住)

私は、自動車関連の企業に勤める一会社員です。府中、八王子と多摩地区で育った関係で、中学生の頃から作家司馬遼太郎さんの「燃えよ剣」という時代小説を愛読していました。ご存知の方も多いと思いますが、「燃えよ剣」は、幕末に活躍した徳川幕府側市中警備隊「新選組」の土方歳三が主人公です。小説ですから、フィクションを適度に盛り込んだ青春撃剣小説となっています。中学生、高校生の頃は単にカッコイイものへの憧れで、何度も繰り返し読んだものですが、大学受験、就職、仕事上の壁にあたった時などは、自分自身を奮い立たせるツールとしてその都度読み返しては勇気を出したものです。

その「燃えよ剣」の作者である司馬先生が昨年亡くなりました。当然のことながら、またこの愛読書を引っ張り出して、読み直しました。そして、テレビでは幕末の志士たちの立場を歴史考証を無視してゴチャマゼにした喜劇がはやりました。その善し悪しを論ずるつもりはありませんが、その時私は、「このままでは、自分が岐路の際勇気づけられた志士たちの史実を正しく知る若者はいなくなるのではないだろうか」と不安になりました。そんな頃、私が学生時代大変お世話になった元中央大学職員の倉持嘉一郎先生とお話する機会がありました。倉持先生も新選組ファンで、中央大学がお茶の水から八王子に移転した昭和57年頃からご自分の足で多摩の各地に残る新選組の史跡を訪ね、あるいは書簡類などを入手されては解読し、学内広報誌にそのまとめを掲載されていました。ところが8年ほど前、体調を崩され、現在では歩くのも不自由な状態となっていました。そこへ私が訪ねていき、司馬先生のことなどを話したところ、「三浦にそれを是非まとめてほしい」と言われました。当初は戸惑いましたが、やはりご縁だと思い、取り組んでみることにしました。

先生のまとめられた資料を自分の目で再確認し、まとめた結果を大学の出版部に依頼し自費出版の小冊子にでもするかと考えてみましたが、まとまった資金もなし、また、会社員ゆえ編集作業に多くの時間を割くのが難しく、受けたものの前途多難に憂えることになりました。しかも、学内という狭いコミュニティへの情報発信ではもの足りないと悩みました。そんな時たどり着いたのが、インターネットという表現ツールでした。インターネットとは、世界中に9000万台、日本だけで700万台ともいわれているパソコンや研究用、業務用ホストコンピュータを電話線で繋ぎ、24時間自由に情報検索できる画期的なシステムです。しかも通信料は基本的に無料で、気になる電話通話料も世界中どこからでも市内通話料金しかかからないという大きなメリットをもっています。さらに、情報を検索するだけでなく、個人が自由に自分の自己主張を公開できる場でもあります。情報発信にかかる費用も、従来の紙媒体や電波媒体のような多額の出費を必要としません。情報の内容と工夫次第で、大企業や政府機関などの情報とも互角に戦えるパワーとチャンスを与えてくれます。私は、インターネットが、個の時代といわれる現代にピッタリの表現メディアであると確信しました。同時に、インターネットの双方向性を活用すれば、自分一人が活動する物理量を超えた情報収集ができると考えました。そして、「新選組」、「多摩の人と歴史」というセグメントされた「コア(核)」な情報を積極的に検索しアクセスする方は、基本的に同質あるいは同等質の人間であるはずだとも想像してみました。インターネットで情報発信することを決めたあとは、見よう見まねの独学でパソコンとの格闘となるわけですが、所詮は機械ですから一定のルールを憶えてしまえばそう難しいものではありませんでした。平成8年9月23日に、私のホームページ「多摩の人と歴史」はインターネットの世界にデビューしました。

反応は意外に早く返ってきました。初公開後、一週間で約100人が私のホームページにアクセスしていることがわかりました。一ヶ月後には、アクセス者数を自動計算するカウンターをホームページにつけてみました。現在のところ、10月末から1月上旬までで1600人もの人が見てくれたことになります。その中で、電子メールで感想を寄せてくれた人が約100人、定期的に励ましの電子メールを送っていただける人は約30人にもなりました。とてもありがたいことですし、今では情報の蓄積スピードが日に日に速くなってくのを実感しています。

その2を読む


「トップページに戻る」 「マップページに戻る」 「伝言板ページへ」
三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com