多摩の人と歴史


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その1

八幡太郎源義家の像 at 欅並木

京王線府中駅の西側、南北に延びている大通りは、大國魂神社の表参道でもある天然記念物の馬場大門欅並木である。

いまから約930年前、源頼義・義家父子が康平5年(1062)の奥州征伐(前九年の役)の帰途、神恵を感謝してケヤキを奉植したのが起源で、並木の南の端に残る老株はその一本であるといわれている。その後、徳川家康が参道の両側に馬場を寄進し、土手を築き、ケヤキの並木を植えそろえたのが現在の並木である。大國魂神社大鳥居前より北に約700mにわたって空に聳え、沿道の建物を制圧している。

また奥州征伐のおり、戦捷を大國魂神社に祈願し、帰途、神前にスモモ(李)と粟飯を供えて感謝したのが7月20日。それ以降この日は「すもも祭り」と呼ばれて無病息災を祈る祭りとなり、境内には近隣でとれたスモモを売る露店が並び立つ。この祭りでは神社から烏の姿を描いた団扇(うちわ)が授与されるが、この団扇であおぐと病を防ぎ、秋の収穫期には蝗(イナゴ)の害をあおぎとばして幸いを招くと言い伝えられている。

馬場大門欅並木の参道の南端、旧甲州街道を横切ると大鳥居ごしに大國魂神社の境内で、木立に囲まれた社殿を中心に摂社(本社に付属して縁故の深い神をまつった社の称で、格は本社と末社の中間に位置する。必ずしも境内にあるとはかぎらず、本社から離れていることもある。)・末社が配置され、厳かな雰囲気を醸し出している。随身門(平安時代、貴人の外出の時の護衛として、勅宣によりつき従った近衛府の舎人である随身姿の二神の像を左右に安置する門。この二神は門守の神=矢大臣と、平安時代、検非遺使の属官として罪人の追補や牢獄のことがらをつかさどった看督長で、仏門の仁王門の二王になぞえられ世俗に矢大神、左大神という。)・中門を入った正面が拝殿で、その奥に三殿を一棟とした相殿造り(同じ社殿に二柱以上の神を合祀すること。この場合、とびらは別々につける。なお、祀神は相殿神とも呼ばれる。)の本殿があるが、もともと別々であったものを、寛文7年(1667)の造営に際し、改めたといわれる。(K)

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三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com