開祖近藤内蔵之助の墓碑(桂福寺) |
天然理心流二代目を継いだ近藤三助方昌は、武州多摩郡戸吹村(現・八王子市戸吹町)の名主坂本戸右衛門の長男として安永3年(1774年)に生まれた。戸吹村は、八王子宿の北のはずれ1.7里(約7km)ほど離れたところにあり、低い丘陵地帯に挟まれた村の真ん中を滝山海道が走り、村は、上郷、中郷、下号に別れ、三助の生まれた坂本家は戸吹村中郷の名主であった。 三助が天然理心流を内蔵之助に学ぶようになった年月は定かではないが、内蔵之助は多摩郡のかなり広い地域を歩いて剣術を教えていたようだから、戸吹村に立ち寄った寛政年間(1789〜1800)三助が20歳前後の頃ではなかっただろうか。また、三助は長男であったから父のあとを継ぎ名主役を勤めなければならなかった(三助は父より早く没している)、剣術に熱中し、家にほとんどいなかったという。おそらく江戸の薬研堀にあった道場で内弟子として熱心に修業に励んでいたことだろう。三助は内蔵之助の門弟中特に剣技がずば抜けて優れ、指南免許を許されてからは、故郷の戸吹村で剣術を教えていた。 内蔵之助が文化4年に亡くなる前、三助は師匠危篤の報を聞き、戸吹から急いで駆けつけた折、内蔵之助は他の門弟達に人払いを命じ、死に際に三助に気合術の奥義を授けたといわれている。内蔵之助没後三助は名主役をすべて父の戸右衛門にまかせて、三助一代に限り、近藤姓に改め天然理心流宗家二代目を継ぎ、ときに三助34歳の秋である。文政2年(1819)4月26日46歳で没するまで剣術一筋に生き、門人の育成と天然理心流の技の改良につとめ、初代内蔵之助の代よりさらに奥の深いものとした。(K) 法名徳應院天外理然居士 |
天然理心流切紙(復刻版) |
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三浦正人 e-mail
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