Internet Explorer 3.01 recommended
|
|||
文久4 | (1864) |
多摩の関わり |
|
月日 |
社会 |
新選組 |
多摩の関わり |
1.2〜15 | 将軍家茂警護のため大坂出張〜上洛随従。 | ||
2.2 | 多摩郡連光寺の名主、富沢忠右衛門が上洛し、壬生の近藤を訪ねる。 | ||
元治1 |
(改元) |
||
5.3 | 近藤、幕府に対し、攘夷決行の建白書を提出する。同時に、新選組の進退伺いも記す。 |
||
5.14 | 富沢忠右衛門、小野路の小島家を訪ね、鉢金、甲、日記など日野の佐藤彦五郎宛て土方の土産を托す。 | ||
5.20 | 大阪西町奉行傘下の与力内山彦次郎殺害される。近藤、沖田の仕業とされているが、疑問も残っている。 |
近藤、京にあって小野路の小島鹿之助ほかに書簡をしたためる。 | |
6.5 | 池田屋事変 | 早朝、木屋町の桝屋喜右衛門を捕縛。土方の拷問の末、古高俊太郎と判明。夜、旅篭四国屋を探索。池田屋に志士集結の報を受け、近藤、沖田、藤堂、永倉、近藤周平の6名が出動。宮部鼎蔵(肥後)、吉田稔麿(長州)、北添佶麿(土佐)ら7名を殺害、23名を逮捕した。 |
|
6.8 | 近藤、池田屋事件の顛末を故郷のに報ずる。 | ||
6.10 | 市中警護支援の会津藩士柴司、清水産寧坂の明保野亭で誤って土佐藩士麻田時太郎に斬りつけ、深手を負わす。 |
||
6.12 | 柴、麻田事件の責により切腹。 |
||
6.28 | 長州兵進軍 | 竹田街道九条河原銭取橋辺に陣を構える。 |
|
7.16 | 佐久間象山の子、恪次郎、父の仇討ちを目的に食客として入隊。 |
||
7.18 | 蛤御門の戦い | 九条河原に出陣。 |
|
7.21 | 天王山の戦い | 山崎天王山へ進攻。長州兵を率いる真木和泉ら17名が自決して終結する。 |
|
8.4 | 幕府より池田屋事件の恩賞を賜る。 |
||
8 | 近藤次兄、宮川総兵衛上洛し、近藤らに面会する。 | ||
9.5 | 小野路地頭の幕臣山口近江守直邦上洛し、壬生にて土方と面会。 | ||
9.9 | 近藤、永倉、尾形俊太郎、武田観柳斎、武家伝奏警護として江戸へ東下。藤堂、伊東甲子太郎らの入隊を得る。近藤、老中を訪ね将軍上洛と長州追討を請願。近藤、神田の医学所に松本良順を訪ねる。 |
||
9.11 | 近藤、江戸試衛館にて小島鹿之助、佐藤彦五郎らと面談。 | ||
10.27 | 近藤一行、帰京。 |
||
長州征伐を想定し、「行軍録」を編成。 | |||
11.27 | 蛤御門の戦功により、幕府より賞を賜る。 |
「トップページに戻る」
三浦正人 e-mail
: miura@tamahito.com