tamatitl.gif

isamifig.gif(こんどういさみ・まさよし)


近藤勇 のち大久保大和

新選組局長、徳川幕府若年寄格、

甲陽鎮撫隊隊長

天保5年(1834年)武州多摩郡上石原村

現在の東京都調布市野水生まれ。

文久3年(1863)京の地において新選組を組織した近藤勇の生家宮川家は、武州多摩郡上石原村(現、調布市野水1丁目)で大沢(現、三鷹市大沢)と境を接する辻と呼ばれた所にある。勇の幼名は勝五郎。勝五郎は末っ子であったため、父久次郎の愛を一身にうけて育った。この幼年時代の父からの感化が、のちの近藤勇に大きな影響を与えていると思われる。父親から「三国史」や「水滸伝」などの英雄伝を読み聞かせてもらい、勝五郎はこれらを通して忠孝の思想的観念を幼い胸の中に芽生えさせていったのだろう。宮川勝五郎は、嘉永元年(1848)11月兄二人とともに近藤周助の門に入門した。時に勝五郎15才。一番年少にもかかわらず、稽古には人一倍熱心であった。嘉永2年6月、入門後8ヶ月で周助より天然理心流の目録が与えられ、周助も勝五郎の剣の素質の素晴らしさに密かに目をつけていた。勝五郎が目録を受けて少したった頃のある夜、白刃を持った盗賊が数人、宮川家に押し入った。その際兄と率先して斬りつけ、賊の気を奪いこれを遁走させた。この話を久次郎から聞いた周助は、勝五郎の機智に富んだ勘の鋭さ、度胸の良さに感服して、近藤家の養子に迎え天然理心流四代目を継がせようと決心したといわれる。

嘉永2年当時、近藤周助の道場は、江戸の牛込甲良屋敷(俗に二十騎町と呼ばれた所。現、新宿区市ヶ谷柳町)にあり、養子に入った勝五郎改め勝太は、師匠の旧姓を名乗り島崎勝太となった。剣術一筋に力を注ぎ、武術が上達するとともに、神田昌平橋近くに住む溝口誠斎について漢学を修めた。

天然理心流四代目襲名披露の野試合は、文久元年(1861)8月27日、天然理心流の大扁額のかかっている府中六社宮「大国魂神社」の東の広場(現在の東京競馬場付近)にて行われた。この野試合は、本陣に島崎勇改め近藤勇昌宜が総大将、紅白二つに軍を分けて行われ、後に京洛の地で京都守護職会津肥後守御預「新選組」隊士として活躍する沖田総司、井上源三郎、土方歳三、山南敬助等もこの野試合に参加している。

近藤勇五郎は、勇の生家である宮川音五郎(勇の長兄)の次男として嘉永4年に生まれ、勇の娘瓊子(たまこ)の婿養子となった。慶応4年4月25日勇が板橋で斬首されたときは、勇五郎16才で、養母つねと瓊子の三人で牛込二十騎町の家を手放し中野村本郷(現中野区本町2丁目)の成願寺という寺に住んでいた。勇のかつての門人から「板橋の問屋場に捕らわれているらしい」との話を聞いて、何度も板橋まで勇の安否を気遣って訪ねている。わからないでいる所、「今日は立派な旗本が斬られるそうだ」という噂を耳にし、はからずも養父が斬首されるのを目撃してしまう。実父音五郎と勇の門人に相談した結果、翌々日の27日、「何とか遺体を持ってこよう」ということになり、勇五郎と音五郎、そして門人等7人で夜板橋に出かけ、刑場の番人に包金を握らせ、首のない遺体を三鷹の竜源寺まで運んで埋葬した。この時の遺体の確認は首がないので、証拠は京の伏見街道墨染で伊東甲子太郎の残党によって狙撃された鉄砲の傷跡であったと言われている。近藤の首は一旦板橋宿はずれの平尾一里塚刑場(現板橋駅東口付近)に晒された後、火酒(焼酎)に浸されて京都に送られ三条河原に晒された。慶応4年6月6日、ときの中外新聞(慶応4年2月創刊、慶応4年6月発刊禁止廃刊・福地源一郎)44号ではこれを次のように記している。

閏4月8日元新選組隊長近藤勇昌宜といふ者の首級、関東より来りて三条河原に梟されたり、其身既に誅戮を蒙りたる身なれば、行の是非は論ぜず。其勇に至りては惜む可き壮士なりと言はざる者なし。

近藤勇の墓は、三鷹市大沢6丁目の竜源寺。本堂裏手のうっそうと繁った竹やぶを抜けたところ、近藤家の墓所の中にある。この墓こそ首のない勇の胴体を葬った所で、段を上った所に近藤勇の墓、その左に近藤勇五郎之墓があり、墓地の左側に近藤勇辞世の碑がある。(K)

 

孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔靡他今日復何言 取義捨生吾所尊快受電光三尺剣 只将一死報君恩 孤軍たすけ絶えて俘囚となる。顧みて君恩を思えば涙さらに流る。一片の丹衷よく節に殉ず。雎陽千古これ吾がともがしら。他になびき今日また何をか言わん。義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所。快く受けん電光三尺の剣。只まさに一死をもって君恩に報いん。

写真 : 甲州勝沼近藤勇驍勇之図 大蘇芳年(町田市小野路 小島資料館蔵) 中央下が近藤。


silvball.gif 大沢「龍源寺」
silvball.gif 野水「近藤勇生家跡」
silvball.gif 高幡不動「殉節両雄之碑」
silvball.gif JR板橋駅前「新選組墓所」

「トップページに戻る」 
三浦正人 e-mail : miura@tamahito.com